ポートフォリオ   チャーチル会退会挨拶
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 このたび’16年4月1日をもって、チャーチル会を退会いたしました。
 ほぼ20年前、東京大田区に住んでいたときに入会いたしました。
当時、会の幹事長をしていらした戸田豊鐡さんの、後に奥様になる女性が友人でした。住まいが近く、彼女が戸田さんを伴って我が家に遊びに来てくれた折、氏に以下のようにお伝えしました。 グラフィックデザインの仕事をしているので、イラストレーションの依頼を受けるが、これは当然発注側の目的に沿うものになるので、タブローが描けたらと。戸田さんはチャーチル会に入って発表の場にしたらと推薦してくださったのです。
 入会後直ぐ、ある会員に芸大卒のアナタがどうして、このような素人の集団に入ったのですか?と問われましたが、自分はデザイン分野で生活のため職人として仕事をている、画家を目指したことはなく、そうなるつもりもなかったとお答えしました。自らの創造する力を高めるために学ぶことは大切ですが、学歴=学校歴を云々することは創造活動とは無関係だと思っています。
 日展を頂点とした多くの公募団体の審査員は、組織内上層部の地位を求めて政治的画策に腐心すると聞いています。そのような成り立ちの公募展に出品して、審査され、会員を目指すのは真に芸術に向かう姿勢ではないと捉えています。
 小学生のときから勉強はまるでだめでしたが、ただ絵を描くことだけは大好きでした。絵描きは収入の保証はないのでやめておきなさいと両親には言われ、芸大の工芸科へ2年の浪人をへて入り、グラフィックデザイナーになるべく学びました。2年間の予備校通いで多くの友人=ライバルとの交流ができ、現在までも続く友人も得られ、大きな収穫の期間となりました。予備校は受験戦争の過酷な現場、ひたすら形を正確につかむデッサンに励みました。
 後年、この正確さへのこだわりととらわれが、創造的な作品を目指すとき邪魔になりうると気ずき、クリエイティブ・デッサンというコンセプトがあることを知り、いわゆるアカデミックなデッサンから抜け出すための苦労を未だに引きずっています。しかし一方、デッサンの力は自分を客観視するための基礎体力として役に立っていると思っています。アスリートにとっての筋力のようなところがあるではと。
 芸大のクラスメイトは35人、浪人中から顔を知っていた人はわずかに3人、親かった良きライバルたちは、すべて落ちてしまい、彼ら彼女らは私立美大へ進んで行きました。当時の仲間には現在交流はありませんが、多摩美ヘ行ったファションデザイナーの三宅一生さん、武蔵美ヘ行った絵本作家でエッセイストの佐野洋子さんがいました。彼女は5年前に亡くなるまで親しい友人で、エッセイにも自分のことを書いてくれていましいた。